iCHi's diary~本は読みたし、はかどらず~

主に読書録。読み終えた本がこのまま砂のように忘却の彼方に忘れ去られるのが申し訳ないので、書き留める。要は忘れっぽい読者の読書日記。

「影踏亭の怪談」ホラーとミステリどっちも堪能

表紙の絵が意味がわかると怖いやつなので、あえてかわいい漫画風にしてみたよ。田んぼの泥がついた幽霊。

 

はじめましての作者、大島 清昭の「影踏亭の怪談」を読んだ。
タイトルをみて「うわ‐これは私好み」となった。

もはや大好物の予感しかない。

 

あらすじ

怪談作家の姉を襲った異様な事件
彼女が追っていたある『怪異』が関係してるのか?
第17回ミステリーズ!新人賞受賞作


僕の姉、梅木杏子は本名をもじった呻木叫子というふざけた筆名で実話怪談を執筆している。年末、姉が単身で住む東京のマンションを訪れた僕は、粘着テープで拘束された上、意識不明となっている状態の姉を発見する。その両瞼は彼女自身の髪によって縫い合わされていた――この異様すぎる事件は、姉が取材していた「午前2時17分の不在着信が告げる予言」という怪談に端を発するのだろうか? 僕はその怪異が起きた「K亭」という宿を訪れるが、そこで待ち受けていたのは、この世の者が為したとは思えない、おぞましくも謎めいた密室殺人事件だった。第17回ミステリーズ!新人賞受賞作。
第17回ミステリーズ!新人賞選考経過、選評=大倉崇裕 大崎梢 米澤穂信


あらすじよんで「ヒィ」ってなる。


賞を取った作品とは知らずに読んだが、たしかにホラーの要素たっぷりの「ミステリー」だった。

それにしても、最初に出てくる弟くんがあっさり第一話でお亡くなりになってしまうのが残念でならぬ。

おまえ、主人公を助けるワトスン役ちゃうんかい。

姉であるホラー作家「うめききょうこ」も前半は「事件のあと意識不明」が続き、回復後の解決の段取りが良すぎる!
最初の傷害事件、あらすじにも出てくる「まぶたが・・・」っていう話はどうなったのかしら。

そこは、引きずってもよくない?だって自分の髪の毛でまぶたを縫い付けられるんだよ??

とってもあっさりしたもんで「がくっ」ってきた。

 

と、最初ちょっとがっかりポイントを述べさせてもらったがなかなかどうしてとてもおもしろい作品だった。

いわゆる物語の中の物語の入れ子状態になっていて、「現実の話(梅木杏子の語り)」と「呻木叫子の小説」が並行して書かれたり、現実の話の語り部が梅木杏子以外の人物になったり、となかなかに凝っているのだ。

 

ストーリーも、「幽霊だからしょうがないよね」というところはなく、ホラー作家が行くところで実際に起きた事件の解決、つまりちゃんとしてミステリだ。

 

探偵役はホラー作家の「呻木叫子」だが、彼女の行く先々で結構な確率で人が死んでしまう。
ある意味コナン系だ。


特にトンネルの首なし女性の話なんて、命がかるすぎる!と思うけど、まあそうなってしまう理由については、ホラー的要素で解決している。

雰囲気といい、きっちりミステリ感がある所といいとても好きな話だが、最後に

呻木叫子さんが失踪してしまうので続編は期待できないのかもしれない。
残念!!

 

ちなみに他にどんな本を書いてるのかしら、とアマゾンを覗いたら何やら面白そうな本を書いていた。

 

現代幽霊論―妖怪・幽霊・地縛霊

 

学術書?むむむ、お主やるな?!

実は今回もAudibleで聞く読書。みなさん、Audibleまじでおすすめです。

月1500円でいろんな作品が聞けて、本当にコスパよし。

 

正直、読み放題(Kindle unlimited)出番なしよ。聞いたほうが楽なんだもん。

 

 

6人のいい声で聞く「木挽町の仇討ち」

木挽町の仇討ちのイメージでDALI姉さんに書いてもらった。8回出力して一番マトモなやつ。



直木賞受賞作、永井紗耶子の「木挽町の仇討ち」を読んだ。

江戸の木挽町にある芝居小屋を中心に展開される、仇討ちを巡る複数の人物の物語。
物語は、以前会った仇討ちの話を聞きたいと一人の若侍が芝居小屋に関わる人々の一人一人に話を聞いて回る、インタビュー形式。基本当人の一人語りなのがうまい。

語り手の半生や、彼らがどのようにしてその場所にたどり着いたのか毎回それぞれの人生をなぞって語られる。

話は、最後の語り手、仇討ちをなした当人の語る真相で、読者はかるくドンデン返しを食らう。

 

なによりも時代小説としての魅力に加え、ミステリー要素もあって楽しく読めた~
江戸の芝居小屋や、そこに携わる人々のキャラクターが丁寧に描かれていて、時代小説があまり得意でない人でも楽しく読めると思われる。

最後の語り手の話で、散りばめられた伏線が回収されるのだが、なんとも言えずとても爽やかな読後感だった。

 

ちなみに今回もまたAudible(オーディブル)の読み上げ読書だったのだが、この作品はたくさんの声優さんが出演していて、こういうのもたまにはよいなーとおもった。

 

というか、最後の人の声とかめっちゃ良かったわー、声優に詳しくないから名前を聞いても存じ上げないのだが。ホントいい声~~

イヤホンで聞いてたらなかなかの快楽。

amzn.to

 

 

アガサ・クリスティーの傑作「五匹の子豚」16年前の殺人事件の真相

はじめに

アガサ・クリスティーの「五匹の子豚」「カーテン」を読んだ。

特に、「カーテン」は名探偵ポアロ最後の事件で、最後ポアロ死んじゃうの~

今まで、古典舐めてたけど、どちらもとてもおもしろかった。

「五匹の子豚」

「五匹の子豚」は、16年前の殺人事件を当時の関係者から丹念に話を聞いて解決するという・・・
もうハリポッターでいうと「エクスペクト・パトローナム!」みたいな?

ドラゴンボールで言うところの「20倍界王拳」みたいな?

 

「名探偵奥義」物的証拠何もなし解決~

 

 

当時は指紋捜査まではあったけどDNA鑑定などはなかった。

携帯もスマホGPSもない。

ポアロが手にした材料は「記憶がうすれた5人の証言」のみ。

おまけにこの中には嘘つきがいる。

 

ポアロの灰色の脳細胞が関係者の記憶から「心中を推し量って」解決に導くのだ。

いやそれ無理じゃない?とみんなが言う。それをやっちゃうのがポアロなんだよねー

ポアロがかっこよかったのでAIでポアロ描いてとお願いをした。

 

名探偵ポアロ(イメージ)

 

と、いうわけで私のなかのポアロ株バク上がりのため、イメージ像がかなりダンディな紳士になっております。

今まで読んだアガサ・クリスティーの中で一番好きかも。

カーテン

 

 

 

 

 

コチラも、衝撃の結末を迎える「カーテン」

最後は「!!!!」となって言葉にならないよ・・・

よかったヘイスティングスが殺人を犯さなくて。

 

 

まとめ

いやー、今まであまり古典って得意じゃなかったけど、五匹の子豚すごく良かった。
5人の証言者に会って話す時にポアロが心のなかで

「この子豚はウィーウィーウィーと鳴く」とか

「この子豚は鳴かない」とかって思ってるんだよね。

なんか好き。

 

アガサ・クリスティーの作品は、緻密なフラグとその回収、それからまさかの犯人が有名だけれど、技工に走らず人間のこころのヒダのような細やかな観察と描写で、物語としてもとてもよかった。

 

あれ、これって私が年齢を重ねたから?

何にせよ、やっぱこの人は(アガサ・クリスティ)すげーなと思ったわけですよ。

ミステリ界の手塚治虫よ。いや、英国人が怒るかもだけど。

コナンでも「阿笠博士」と喫茶店ポアロ」で出てきてますね。
ミス・マープルは出てくるのかな?素朴な疑問。

 

 

今回のこの2冊も実はAudible(オーディブル)に読んでもらった。

アガサ・クリスティも充実してきたのでおすすめです。

 

 

 

自意識との果てなき戦い、鬱ごはん

施川ユウキという漫画家が好きだ。

 

 



「オンノジ」「銀河の死なない子供たちへ」などのストーリーはぜひみんなに読んでもらいたいし、「バーナード嬢曰く」を読めば、この世界感を作り上げるのもかくや、インプットの多さなんに舌を巻くのだ。

新刊でたら無条件に書く数少ない漫画だ。

 

 

 

特にオンノジは私の生涯ベストテンマンガに入る。

彼ほど、絵が上手ければ漫画の神様手塚治虫、みたいになる人はいないと思っている。

 

つまり惜しい!推しずらい!

 

 

そして、この「鬱ご飯」は「絵が下手なのに漫画家に?」でも少し香ってくる自意識との果てなき戦いに連敗しているのがよくわかる。

今回、4巻5巻と読んだのだが、ちょうどコロナが最も酷かった自粛期間の話だ。

 

あれほど辛かった自粛期間の事が、結構遠い昔になってしまっている自分に驚く。

 

当時の私は、意外と平気なつもりだったのだ。

私、ステイホーム、いける。

くらいに思っていたはずだ。

 

だが、改めてそんなに遠くないあの頃のリアルな様子を見て、テンションがとても下がった。

 

私たちは集団で異常だったのだ。

 

マスクをしていないことが犯罪だった時代だ。

 

思い出し不機嫌、というかこんなタイムカプセルは嫌だ、というお題になりそうだった。

 

施川ゆうきも別に、のちにこんな気分で読み返されると思って批判的なニュアンスを込めているわけではない。

 

ただ、あの頃普通だったことがを3年ほどだっただけなのに、こんなに違和感があるなんて!

 

これ程食欲のわかないグルメ漫画もめずらしいと言われるこのマンガ。

それだけでも十分異色漫画なのに、もはや当時の鬱屈とした日々を知る貴重な資料めいてきている。

 

なんだか変なものを飲み込んだかのような読後感だ。読む人を選ぶ傑作?だと思うよ。

 

(でも最初に読むならオンノジ読んで欲しい)

 

 

はじめはみんな子供だったのに「百年の子」

古内一絵の「百年の子」という小説を読んだ。

小学館の小学一年生~六年生(とおもわれる)学年誌をめぐる長い長い物語だ。

 

 昭和~令和へ壮大なスケールで描く人間賛歌。

人類の歴史は百万年。だが、子どもと女性の人権の歴史は、まだ百年に満たない。

 舞台は、令和と昭和の、とある出版社。コロナ蔓延の社会で、世の中も閉塞感と暗いムードの中、意に沿わない異動でやる気をなくしている明日花(28歳)。そんな折、自分の会社文林館が出版する児童向けの学年誌100年の歴史を調べるうちに、今は認知症になっている祖母が、戦中、学年誌の編集に関わっていたことを知る。
 世界に例を見ない学年別学年誌百年の歴史は、子ども文化史を映す鏡でもあった。
 なぜ祖母は、これまでこのことを自分に話してくれなかったのか。その秘密を紐解くうちに、明日花は、子どもの人権、文化、心と真剣に対峙し格闘する、先人たちの姿を発見してゆくことになる。
 子どもの人権を真剣に考える大人たちの軌跡を縦糸に、母親と子どもの絆を横糸に、物語は様々な思いを織り込んで、この先の未来への切なる願いを映し出す。
 戦争、抗争、虐待……。繰り返される悪しき循環に風穴をあけるため、今、私たちになにができるのか。

いまの時代にこそ読むべき、壮大な人間賛歌です。

Amazonより

 

子供ってなんだ

タイトルの百年の子には、子供が「小さくて弱い大人」ではなく、子供とみとめられてからまだ100年しか経っていない、という意味だ。

 

確かに、100年以上前の物語を読む限り子供は「物のように売り買いされている」

おそらく100年以上前の人間も生まれてきた自分の子供は可愛かったに違いない。

ただ、人権はなかった。

 

今でもともするとこの小さくて弱い生き物を大人と同じ扱いしていない。

 

彼らは、それを怒ったりすることができない。なぜなら、小さくて弱い殻だけではない、あっという間に大人になってしまうからだ。

子供として子供の人権を勝ち取る運動ができないわけだ。

そう考えると、はじめはみんな子供だったはずの私達は、がんばって子供の気持ちを想像するしかなくなるのだ。

 

・・・なんでだ!

 

こんなに別の生き物の気持ちがする子供と、私が連綿と繋がっている一つの生物なのは結構不思議なことかもしれない。

変わったつもりはないのに、今更10歳の頃の自分がほしいものが思い出せない。

 

ピカピカの一年生を懐かしむ!

「百年の子」は、文中では分林館となっているが、おそらく小学館学年誌の創刊から今までが語られている物語だ。

 

毎年、年度末になると「ピッカピカの一年生」というほのぼのCMが流れていたが、今ではどうやらあまり売れてはいないらしい。

 

一年生から六年生まであったシリーズは今では一年生と8年生になってしまったらしい。昔、祖母の所に行くと必ず買ってくれた小学◯年生シリーズ。

なつかしいなぁ。うれしかったなぁ。なくなるのは切ないなぁ。

 

そういえば、小学8年生が出たときはかなり話題になった。

付録がね~大人でもちょっと欲しくなるのよね~

 

 

 

 

 

 

本書の中で手塚治虫と思われる漫画の神様が出てくる。その名も「とつかおさむ」

 

彼の天才エピソードは面白かった。

 

手塚治虫がつねに2歳年齢をサバを読んでいたらしい。

理由はわからないが、そうすると彼の人生は昭和の元年から始まり、そして狙ったわけではないだろうが、昭和が平成に変わる頃になくなっているのだ。

彼の一生がほぼ昭和と重なるというのを聞き、(調べた。確かに)何故か説明のつかない鳥肌が立っている。

 

母と娘の葛藤、女と仕事の葛藤は永遠なのか?

この小説のもう一つの軸は、母娘孫の3代にわたって、それぞれが「仕事」と「子育て」と「自分」に向き合う姿を描いているところだ。

 

女が抱える問題は常に切実で、令和キャリアウーマンの孫娘「明日花」ですら悩む。

 

明日花は女性誌編集部でキャリアを積む編集者。ところがひょんなことから彼女は、学年誌の特別企画の担当に回されてしまう。

 

その理由は、育児休暇から復帰した同期を別の部署に出すのがかわいそうだから、という上層部の判断でした。

 

この出来事を受け止めることができず「私ばかり損をしている」と彼女は苛立ちます。

 

わかる。子供が・・・と言われたらその人の後の仕事は全て巻き取らねばならぬもの。しかも文句の一つも言えないんだもの。

それで、更にそんな理由で部署を変えられたら、そりゃ腐るわ。

 

この小説がとても印象的なのは、母娘孫の3代にわたる女性の人生がそれぞれ違いながら、共通して「仕事」と「子供」と「自分」に向き合う姿勢を持っている点だ。

 

戦中に育った母スエの悩みと娘、孫の悩みはみんな違うでも、でも女性が抱える問題は尽きることがない。

ただ、薄紙を剥がすように、少しずつ少しずつ幸せな社会を実現できていると信じたい。

次の世代に渡すときには、今よりも少しでも良いものを渡したい。

 

超習慣術で習慣を身に着けたい。

メンタリストDaiGoの「超習慣術」を読んだ。

 

この本を選んだキッカケ

実はこの人のYoutubeとか本を以前よく読んでいたのだが、あんまり聞きすぎると「DaiGoはこう言っていた」

「それってエビデンスあるの?」

 

みたいな、ダイゴよりのエセダイゴ発言が増えて人に嫌われてしまうため、ダイゴ派であることは人には秘密にしていた。

・・・ダイゴ派ってあるのかわからんけど、ひろゆき流はありそう。

 

自分のYouTubeの閲覧履歴は欲望丸出しで、まじで反省する。

あんまり人には知られたくないものだ。

 

誰も気にしていないのはわかっていつつもそんな自意識が邪魔をして、あんまりダイゴの本の感想は書いていなかったのだが、

 

したがって、ダイゴがDaiGoと書くことや、何なら「メンタリスト」という呼称をまだ使っていることも初めて知った。

もしかしたら苗字がメンタリストなのかも知れぬ。

 

この人ねーテレビでマジシャンのようなことをしていたイメージが強すぎで、結構誤解をされているかも知れないけど、とにかく努力をしている人。

 

苦労して成功してるんだけど、「だからお金使って何が悪いの?」とか思ってるだけじゃなくて言っちゃうからちょっとね。動画でごく偶に炎上しちゃうのよね~
正直なんだろうけど、動画を見ていない人って、結局マスコミが切り抜いた一部分だけだし、悪意のある切り抜きをするとどんな人でもムカつくのよね、の法則。

 

人生は習慣で変えられる!

人の行動の45%は習慣、つまり無意識の行動で成り立っている。
すなわち、「こうしたい」「こうなりたい」と思えるような
“よい習慣"を身につけてしまえば、人生のほぼ半分を自分の思い通りにできるということ。
それほど、習慣の力はバカにならないのだ。

しかし、三日坊主という言葉がある通り、何事も続かないと諦めている人は実に多い。
そして、その多くの人の挫折する理由が、目標設定が高すぎることにある。
自分の身の丈に合うような、頑張らなくても簡単にできることというのは
毎日実行し続けていけば、やがてそれが無意識のうちに自然にできるようになる。

本書では、その目標設定のしかたから、無意識のうちに習慣化できるようになるまでの方法を紹介。
そして、最終的には、誰もが“よい習慣"を身につけて、思い通りの人生を手に入れることを目標に設定している。

 

この本を選んだキッカケ

 

ちょうど大物を読み終わった谷間に、そういえば最近ブログかけてないなーー

 

アウトプットする習慣がなくなってしまった自分、あかん!みたない気分になっており、ココは一つなんでもいいのでだれか私の背中を後押しして!

 

の気分のときにAudible(オーディブル)でポチリ。

 

 

学んだこと

実は習慣化したほうが簡単??

ダイエットや筋トレなど、とにかくコツコツ続けることは、ものすごく意志の力が必要におもえるが、実は「習慣化」をしていけば、そんなに難しくない。

(ここで、その習慣化が難しいんじゃい!と叫ぶのはまだ早いのです。)

この本では、その習慣化するためのテクニックを論文の結果を引用しながら詳しく説明してくれる。

習慣化にはモチベーションの維持と効果的な仕組みづくりが不可欠。

たとえば、〇〇したら〇〇をするという「if-then」作戦。

具体的なタイミングを設定しておいて、朝起きたら〇〇する。とか歯を磨いたらまるまるするとか。

 

とりあえず、習慣でやっていることにプラスで乗っけていくといいらしい。

 

確かに聞いていると、テクニックであればやれるかもと錯覚、もとい夢をみれてよい。

 

一番響いたのは「たまにさぼってもいいよ」と自分を許そう!というやつ。

 

サボっちゃった、もーいいや!見たくない、ブログ(私だ)と挫折するのではなく、サボっちゃうこともあるさ。そんな自分を許せばいい。

 

サボっちゃったら、サボっちゃった理由とかサボらなくするためにどうすればい以下考えるキッカケがあったほうが良いらしい。

 

まとめ

 

と、いうわけで、久しくブログを放置して降りましたが「習慣化するためには週4くらいやる」と定着するらしいので、一旦ブログを書いてみた!

 

もうね、とっても腰が重くなっていたのではてなブログのアイコンが、かき混ぜるのを3週間忘れたぬか味噌みたくなっておりましたが、本日は「ふた、開けたった!」記念日でございます。

 

今日は目標の週4回更新の一回目を果たしたのでご褒美のアイスを食べる。

(ご褒美作戦も結構効果的らしいですぞ)

 

 

この本を読んで思い出したのはこんな本。

 

 

 

 

 

食欲という本能をしれ!「食欲人」

ブログを放置している間に、季節は進み、さてお盆である。

江戸時代であれば盆と正月しか休みがないっていう一年の区切り。えー昔の人は働き者すぎない?土日もないんでしょ?休みながら働いてたのかな―

 

さて、最近読んだ本でぐぐっと来たこれ「食欲人」

 

 

こちらの本、一言でいうと「科学者が語る食欲について」だ。

なので、これをするだけで一日で痩せるみたいなインスタントな方法を期待してはいけない。いけないのだが、めちゃくちゃ基礎知識をバク上げしてくれる。

 

痩せたいなら、摂取量と消費量のバランスを変えるしかない。

それは自明のことなのだが、その摂取量をコントロールできなくなっているのが現代人なのさ。

 

そこに白いご飯があり、お米には八十八の神様が宿っているのよ、などと言われ育った私達。そりゃ、食べるさ。食べずに残すなんて選択肢はないさ。

テレビでは一日中美味しそうなものの紹介をおこなっており、ネットでも飯テロが頻回におこなわれ、少々丸くても自分で動けるくらいの体型を維持している私達えらい、とおもうよ。

 

そう、食べる量を減らせば痩せるとしたり顔で行っても、それができりゃ苦労しないってやつ。

 

私たちが食欲をコントロールするってことは、かなり難しく、むしろやり遂げてる奴らは鉄の意志か課金かどっちかだと思っている。

 

ところが、のっけから重大なヒントが語られる。

 

「食欲は必要なタンパク質量が満ち足りれば収まる」

 

いいですか、大事なことなのでもう一度言いますよ。

 

「食欲は必要なタンパク質量が満ち足りれば収まる」

 

そう、満腹中枢がどうのとか、意志の力とかではないらしい。

好きなものを好きなだけ食べていい状況になると、そして、それが毎日行われると保証されているなら、自然と「自分に必要はタンパク質量」を食べ終わったら食事は終わり、になるんですってよ!

 

なので、私達がいつも捕らわれている(主語おかしいか?)

・・・なんか、口寂しい、チョコ食べたい、甘いもの食べたいああなんか・・・(っていうのはすでに何かの依存症の気がするけども)

というあの謎の食欲は、炭水化物とかを食べてカロリーは十分だけど、タンパク質がたりていないので「物足りない」んだそうだ。

 

ちなみにスナックなどの濃い味は、脳がタンパク質と勘違いして食べたくなるけど実際はタンパク質はいってないから、食べても食欲は収まらないらしいよ。

 

コンソメポテト!肉っぽい味付けで私たちを謀って油と糖しかないのよ。

 

と、ココまででも十分ためになるんだけど(しかも実験方法がめちゃくちゃ面白い)科学者って才能ではなく、「やり続ける事ができる人」しかなれない職業だと思うわー

 

ところがところが、「じゃ、ゆで卵ばっか食べときゃいい?」となるのはアサハカさんなのである。

「ご飯を食べなきゃいい?」ってなるのも、大アサハカのコンコンチキなのである。

 

なんと、タンパク質を食べることと炭水化物を食べることはセクシーな魅力と長寿とのトレードオフの関係だというのだ?

 

イナゴやショウジョウバエを使った(筆者は昆虫学者でもある)興味深い実験によると

タンパク質多めの餌を与えたものは生殖器が発達、つまり子孫を残すことに全振りして、短命。

一方炭水化物多めのものは生殖に関してはイマイチ結果を出せないが、いわゆる長生きになるそうな。

 

これ、めちゃくちゃ面白くない?

頭の中を筋トレ系YouTuberの頓死が思い浮かんだわ。

 

つまり、結局はバランス大事ってことだ。ただ、人生のステージで自分の遺伝子を残したいならタンパク質多めがいいってこと。ということは、すでに子育てもやや終了気味である私は炭水化物多めにとって長命を狙うのが正解か・・・

 

なーんだ、じゃ白いご飯食べていいじゃん!!

 

 

大興奮したところで、この本のちょうど半分。残り半分についてはどんどんもはや都市伝説並みに「怖い話」になっていきます。

 

この本の帯には「タンパク質欲しさにあなたは『ペンキまでたべる』」とありますが、これがまあ、冗談や大げさではないのだ。

見た目だけを取り繕った工業製品を私達は食べているんだという証拠が次々あがってくる。

 

痩せるため、というか健康で長生きするためにはもはやカロリーと運動の2つの軸ではないな、何をどれだけ口に入れるかという軸で考えなくては。

 

そして、先の長いこどもにはなるべく「家にあるもので作れるもの」をたべさせなくては。

 

そんな「丁寧に生きない派」の私にして決心をさせるすごい本だった。

 

私のつたない説明ではわかりにくいかと思うので、この本をべた褒めしているという「ゆる言語ラジオ」のリンクを張っておきます。

 

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